ハルカカナタ。
といったら、関西の超ベテラン漫才師さんもいらっしゃいますが、私的にはコレです。
- ハルカへのスキンシップが異常
- かっこいいのに、女の影が全くない
- おねえなふるまいで安全パイを装ってる
おとなのきめたやりかた。
大人の決めたやり方それが正解なの?って、むしろ大人がせくぞんちゃんにとりつけた枷なのかもなぁ、という妄言。
— 鯖缶 (@unecan) 2014, 5月 13
なにかあると引き合いに出される、
「大人の決めたやり方 それが正解なの?僕らは僕らなり 考えてる」
作詞の方がなにを暗喩したのか、どういう状況でこの歌詞が生まれたのか、全くしらないけれど。
大人の決定に疑問をもつ子供たち、を大人が最初から想定してるっていうのが酷いなって。
そこ先回りされちゃうと、子供の無力感半端ないのでは…?
なんておもいながら、あらためて歌詞みてたらこれすっげー重いんですね。
ちょう背負わされてる。
自分がいる場所を誰のせいにもできなくて、考え続けることを義務付けられて、前へ進むこと以外許されてない。
空にかざした手のひらで、なにを掴ませたいんだろう?
セクボのことでちょっと泣いた。
セクゾンちゃんのセクセカ横浜2日目、夜公演をみてきました。
勤務地は千代田区丸の内3丁目1−1。
前置き。
一瞬の16歳の日々。
じんぐーじくんが16歳になったのでポスト。
最近わたしがハマっているこの曲。
東京カランコロン / 16のbeat【MUSIC VIDEO&特典DVD映像】 - YouTube
高校生だった頃の、何者にでもなれるんじゃないかという根拠のない期待と、何者にもなれるわけないだろっていう諦念と。そういうぐちゃぐちゃした気持ちをうまく掬って、キラキラさせててとてもいいです。ぐっとくる。
何度も繰り返し聴いていたら、ふと、じんぐーじくんはもし事務所に入って、芸能活動をしていなかったら、こういうメンタリティーなんじゃないかなって想像してしまいました。本当に勝手に。
だって空手少年でバド部だしギター弾きだし!
男子ヒエラルキーって、野球部・サッカー部をトップに、バスケ部、陸上部、テニス部、バレー部あたりが第二集団で、第三集団にバド部、卓球部、武道系。その下に文化部、が多分一般的だとおもうんです。
空手とバドミントンって、そういう下層ポジションのメンタリティでしょう?ギターはモテない男の子のための武器だし(偏見)
なのにいざジャニーズJr.っていう枠内にいれたら、唯一不動のセクボで、ビジネスでチャラく振る舞うのを武器にのしあがり、でもその実真面目でリーダーシップもとれて、上にいこうっていう貪欲さもあるにも関わらず、ダンスはあんまり上手じゃなくて「お前声だけはでかくていいな」って振付師に言われる、ってそれ自体をネタとして億面もなく衆前で言ってしまえる割り切りと度胸とタレント性とを持ちあわせて活躍中。
わたしはじんぐーじくんのその絶妙のキャラバランスがすごく興味ぶかいなぁっていつもおもってて、この『16のbeat』の主人公が、ジャニーズに入る前、もしくは入らなかったじんぐーじくんを想起するのです。
クラスメイトは誰も知らない曲を一人練習しながら、「この曲が弾けたら世界が変わる気がして」っておもってた少年が意を決して歌う。
「最後まで行こうよ 思ってることが全部伝わんなくても」
今、日々を全速力で走ってるであろうじんぐーじくんには、この部分がよく似合う。才を活かせる場に巡り合えてよかったよね。きっと16歳の日々なんて本当に一瞬で走り抜けて。そしてちゃんと、“最後”までたどり着くんじゃないかなっておもってます。
“最後”が何か、はわかんないけど。
セクバメインの曲で、途中じんぐーじくんだけ踊らない、っていう構成が前はよくあって。で、それが果たして誰のどういう意図からそうなってたのかわかりませんが。でも最近のがいず括りでは、ダンスに手を抜けない状況(私見だけど。横にきしちか立たせてるのは、そういう意味なんじゃないかなっておもってる)に追い込まれて、踊ってる時に「うがー!踊れーん!でもやるー!」みたいな必死顔してるのが結構好きです。ダンス頑張れ。
お誕生日おめでとうございます。