ハルカカナタ。
といったら、関西の超ベテラン漫才師さんもいらっしゃいますが、私的にはコレです。
縺れる足だけど前よりずっとそう遠くへ
笑。
ちょこっとずつ役柄が書かれたり話されたりして、色々想像してしまって、あげないようにあげないように、とおもってるハードルがあがっていく。
なので、もう素直に楽しみにしておく。
あと、カナタがゲイ疑惑のあるお調子者役って出た時に、
- ハルカへのスキンシップが異常
- かっこいいのに、女の影が全くない
- おねえなふるまいで安全パイを装ってる
とかかなっておもってたら、どうやら2っぽくて。
そんなきしくんみれるなんて、どんなに現場不明でもよい夏確定。
これでミレイちゃんがもし「カナちゃん」って呼んでたら、その全く男扱いされてない感じが切なくてめっちゃ萌えるんだけどどうだろな…
たたんだ先は、ドラマきっかけで思考がとんだプライベートな覚書。
おとなのきめたやりかた。
大人の決めたやり方それが正解なの?って、むしろ大人がせくぞんちゃんにとりつけた枷なのかもなぁ、という妄言。
— 鯖缶 (@unecan) 2014, 5月 13
なにかあると引き合いに出される、
「大人の決めたやり方 それが正解なの?僕らは僕らなり 考えてる」
作詞の方がなにを暗喩したのか、どういう状況でこの歌詞が生まれたのか、全くしらないけれど。
大人の決定に疑問をもつ子供たち、を大人が最初から想定してるっていうのが酷いなって。
そこ先回りされちゃうと、子供の無力感半端ないのでは…?
なんておもいながら、あらためて歌詞みてたらこれすっげー重いんですね。
ちょう背負わされてる。
自分がいる場所を誰のせいにもできなくて、考え続けることを義務付けられて、前へ進むこと以外許されてない。
空にかざした手のひらで、なにを掴ませたいんだろう?
セクボのことでちょっと泣いた。
セクゾンちゃんのセクセカ横浜2日目、夜公演をみてきました。
そもそも完全なるジャニーズコンサートをみるのが、ほぼ16年ぶり(うわー)とかだったので、色んなことが面白かったのですがそれは置いておいて。
新セクボまわりの今の正直な気持ちのメモ。(レポなどは一切ございません)